狩人 デビュー47年の本当の“兄弟仲”告白「生放送の楽屋で」 2007年解散宣言の真相

[ 2024年4月4日 16:13 ]

「狩人」の兄・加藤久仁彦(左)と弟・加藤高道(2007年撮影)
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 兄弟デュオ「狩人」の加藤高道(64)と加藤久仁彦(67)が4日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)に出演。現在の兄弟仲について語った。

 5人きょうだいの下2人で結成したという狩人。デビュー曲「あずさ2号」の大ヒットから47年。2007年には解散宣言もするなど、一時は“不仲説”も出たことも。

 47年という歳月に、弟・高道は「早いですよね。あの当時、47年後、想像したことはなかったんですけど、こうやってまた一緒にいられる。夢のようですね」としみじみ。昔は喧嘩も「しょっちゅう」だったそうで、「してましたね、楽屋でも。他のタレントさんがいる前でも」と苦笑。「生放送の楽屋で、生で歌っている時に“ごめんね!”って気持ちを込めて歌うと、これがピッタリ合うんですね。レコーディングなんかもそうですね。喧嘩した後にレコーディングに入ってた時はそのレコーディングはもう一発。ピタッと合いますね。不思議ですけどね」と懐かしんだ。兄・久仁彦も「普通に柔和な顔になってるんです、表情が」と笑顔を浮かべ、今は喧嘩も「ほとんどしない」という。

 デビュー30周年となった2007年には解散宣言をしたことも。高道は「僕が1回離れたくて離れて、お互いの重要性とか狩人のすばらしさをしみじみ感じましたね。逆にダラダラ行くよりは良かったなと思ってますね」と回顧。久仁彦は「お互いに元々ソロ志望だったので、ソロでやりたいこともあるし、でも、解散は僕は反対だったです。でも、当時、社長が一回セパレート、離れたほうがいいということで」と仕方なく解散を受け入れたことを明かした。

 そんな中でも狩人の活動を続けていたそうで、2011年3月11日の東日本大震災の時もステージに立っていたといい、「1曲目歌ってMCしている時に揺れたんです」と高道。「楽屋に戻るときも2人でいたんです。凄い揺れで、2人でいる時にパッと手が触れて、運命を感じました。この大地震の時に2人でいるんだなと。そういう運命って言うのは本当に感じましたね」と語った。

 狩人として2006年に発売した解散前最後のシングル「磐越西線」は福島について歌った曲であり、その曲を「もう一度歌おう」という思いを込め、2012年に再結成。高道は最も尊敬する男性歌手を兄・久仁彦だというほど、全幅の信頼を寄せている。

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