谷村新司さんは「セルフプロデュースの鬼」 ソロ活動開始当時のディレクターが回想

[ 2023年10月17日 05:07 ]

谷村新司さん死去

文化放送「セイ!ヤング」でパーソナリティーを務めた谷村新司さん(C)文化放送
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 谷村さんが1982年にソロ活動を始めた頃の担当ディレクターだった武藤玲子さんが本紙の取材に応じた。谷村さんについて「一言で言うならば、セルフプロデュースの鬼でした」と振り返った。

 自分の新たな側面を引き出し、誰もやったことのないことに挑戦。83年から、東京・新高輪プリンスホテル「飛天」でニューミュージック系では初めてディナーショーを開催した。86年にできた東京・青山劇場では「コラゾン」と題した1カ月間の劇場公演を定例化させた。

 海外アーティストとのコラボにも積極的だった。韓国のチョー・ヨンピルや香港のアラン・タムと後楽園球場で「パクス・ムジカ」と題したジョイントコンサートを開催。東南アジアでのツアーも行った。

 「代表曲の“昴”が“マイ・ウェイ”に似ていることもあるが、日本のフランク・シナトラを意識していた部分もあったのではないか。それほど、音楽ジャンルの枠を超えたエンターテイナーを目指していました」と武藤さん。ロンドン交響楽団(88年)、国立パリ・オぺラ・オーケストラ(89年)、ウィーン交響楽団プロジェクト(90年)と、3年連続でそれぞれ共演してアルバムを発表するなど、クラシックとのジョイントも成功させた。

 「自分をどう見せるかのセルフプロデュース能力がアーティストには求められるが、それに特別にたけた人だった。コンサートタイトルにも使っていたが、まさに“ワン・アンド・オンリー(唯一無二)”な存在でした」と称えた。

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