【悼む】スーパー歌舞伎つくり出し多くの若手育てた「歌舞伎の革命児」

[ 2023年9月17日 05:00 ]

2013年、若手育成に力を注いだ人に贈られる「モンブラン国際文化賞」を受賞し、授賞式に出席する歌舞伎俳優の市川猿翁さん(中央)。右は息子の市川中車(香川照之)
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 【スポニチOB 演劇評論家・木村 隆】以前、歌舞伎はお年寄りが見るもので、若い人が行くところではなかった。今は若い女性客でにぎわっているからウソみたいな話だが、それほど地味だった。何度となく歌舞伎の危機が叫ばれていた。そんな流れに真っ向から逆らって挑戦したのが現・猿翁であり、別々の行動だがそのあとに続いた故十八代中村勘三郎だった。勘三郎が歌舞伎界の風雲児だったとしたら猿翁は「歌舞伎の革命児」として特記されていい。

 猿翁には大ざっぱに言って2つの功績がある。一つは「スーパー歌舞伎」の創造。学者梅原猛と組んで「ヤマトタケル」を上演した1986年は演劇界に一大センセーションを巻き込んだ。以来「リュウオー」「オグリ」「八犬伝」「カグヤ」と続く。スーパー歌舞伎の最大の功績は、歌舞伎の新ファンを開拓したことだ。しかし、歌舞伎界内部ではずっと批判的な見方をされ続けた。あれは歌舞伎ではない「サーカスだ」とか「見せ物小屋だ」と。観客動員の功績とは裏腹にマスコミでも意見は二分していた。

 もう一つは若手俳優の積極的な育成。彼より1世代前の俳優の間では国立劇場歌舞伎俳優研修生を明らかに冷遇した。現在では彼らなくして歌舞伎は成立しない一大勢力なのだが猿翁は彼らを積極的に弟子にして育てた。一門のスター級のそうそうたる顔ぶれを見ればよくわかる。落語界の故立川談志の優れた弟子たちの多さと双璧ではないか。

 猿翁といえば「宙乗り」。「ヤマトタケル」の新橋演舞場の再演の舞台稽古のとき取材のために「一度試させてくれないか」と頼み込んだら快くOKしてくれた。重さ13キロある衣装をそっくり借りて花道上13メートルを長さ40メートル飛んだ。そのとき猿翁は宙乗りのコツと難しさを懇切丁寧に教えてくれたのだった。宙乗りの下には先代猿之助をはじめとして朝倉摂(故人)や照明家の吉井澄雄らがニヤニヤして上を見ていた。懐かしい思い出である。合掌。

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