荒木由美子 13歳上の夫・湯原昌幸の母を20年介護 「円形脱毛症に」なるも夫の言葉が支えに 最期は…

[ 2023年12月5日 16:27 ]

湯原昌幸と荒木由美子夫妻
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 歌手の湯原昌幸(76)とタレントの荒木由美子(63)夫妻が5日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。湯原の母の介護について語った。

 荒木は23歳の時に13歳年上の湯原と結婚し40年。結婚後、芸能界を引退したが、結婚して2週間後からは20年にわたる義母の介護が始まったという。

 司会の黒柳徹子は「お義母さまは66歳で入退院を繰り返すようになった。その後認知症になって自宅介護という。それであなたはとうとうストレスから円形脱毛症になったっていうくらいですからね」と紹介した。

 荒木は「そうですね。手の震えが止まらない、円形脱毛症になってることが美容院で初めて分かったんですよ。“えっ、どうしたんですか”って言われて、でまあそういうことで精神的にちょっと疲れがあって」と振り返った。

 「でも湯原さんが全面的にあたしの味方だったんですよ」と回顧。「もう本当に“ありがとう”って言う言葉を。毎日仕事行く時も“ありがとね”って言って出かけるわけですよね。で、帰って来ても“ありがとね”って言うことで」と続けた。

 それが力になったと言われると、「そうですね」と回答。湯原は「基本的には僕のお袋ですから。彼女にしてみたら義理のお母さんですから。それをまあ変な話下の世話までねしてくれている以上は、感謝しかないですよね」と回想した。

 「それでもね、ちょっと自分の中でもやもやしてる時に、“あなた、ちょっと”って言われて。“釣った魚はエサあげないと死ぬのよ”って言われまして」ともぶっちゃけ。「“えっ、何言ってんの?”と思ったんですけど、“たまには5分、10分でもいいから近くの喫茶店でもちょっとした食事でも、たまには連れ出してくれない?”って言われた時に、あっ僕はそこまで気が回らなかった。自分が愚かだったと思いましたよ」と反省を口にした。

 「でもそれからは機会があればなるべく表で一緒に食事をしたり、お茶飲んだり」と湯原。荒木は「だから家でいろんな話をするのと外でちょっと空気が変わって違うので、それは凄く頑張ってやってくれました」と目を細めた。

 黒柳が「でも湯原さんは湯原さんで、お母さんの首に手をかけたこともあったんですって」と話を振ると、湯原は「僕をずっと育ててくれた太腕のお袋がだんだん人が変わっていく。言ってることがどうも食い違ってくる。そのうちに由美子に対してもなんかつっかかってくるようなスタイルも出て来た」と語った。

 ある時夕食ができたため母を呼ぶと、「出てこないんですよ。“何やってんだ”って無理くり食べさせて。そしたら急になんか気分が悪いようなことを言い出した。“何言ってんだ”ってことで、これはもう我慢ができなくてくっといっちゃったんですよ」と告白。「そしたら(荒木が)泣いて止めてね。そしたら我に返って。つまりそれくらい人が変わったっていうのは、後で由美子も言ってましたけど、病気だというところで納めないといけなかったんですけれども」と話した。

 荒木は「だから毎日のことなので、よその話だとまあまあそこまでって思うんですけど、やっぱり私たちも毎日のことでそこまでずっと闘い抜いて、どうしようもなくなって、こういう状況になってしまった現実があって。そしたら結構多くの方がそういう経験があるって方がいらっしゃって。だからもう家族でいたから、止める人がいたから良かったって」と力を込めた。

 黒柳が「でも介護を初めて20年。86歳でお母さまは亡くなったんですけど、お母さまはどんな様子でしたか」と尋ねると、荒木は「最期はもう本当に認知症だったのかと思うほど、酸素もこうやってやってるんですけど、“おばあちゃん、何やってもいいよ”って言ったら、あたしのおでこをなでて、頬をなでて、“ありがとう、ありがとうね、由美ちゃん。これから先は由美ちゃんに悪いことは一つもないよ”って言って、眠るように亡くなりました」と述べた。

 その言葉で随分違うと言われると、「今でも何かこう毎日手を合せるんですけど、お母さんが守ってくれてるっていうその思いが毎日あります」としみじみと話した。

 

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