元JRA騎手・細江純子さん 騎手目指すきっかけの出来事明かす「馬と人じゃなくて、1つの物体に見えた」

[ 2023年7月30日 13:27 ]

元JRA騎手の細江純子さん
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 元JRA騎手で競馬評論家の細江純子氏(48)が29日深夜に放送されたテレビ東京「二軒目どうする?~ツマミのハナシ~」(土曜深夜0・50)に出演。騎手になった意外なきっかけを明かした。

 1996年にJRA女性第1号騎手の1人としてデビュー。2001年に引退し、競馬評論家・解説者としてテレビ番組への出演など、幅広く活躍。現在もフジテレビの「みんなのKEIBA」の解説などを務めている。

 騎手になったきっかけについて「1個上にJRAの競馬学校の門戸と叩いた女性は3人いらっしゃって、一期生の女性の方々がみんな退学してしまって、私たち同期3人(田村真来、牧原由貴子)がJRA女性ジョッキーとしてデビューできた」「一昔前はさらしを巻いて男になって、ジョッキーになりたいっていう女性もいらっしゃったぐらいで、なかなか男性社会なので、女性は入れなかったので、少しずつ少しずつみんなが扉を開いて、私たちが運よく、96年にデビューができた」と振り返った。

 乗馬経験があったわけではなく、騎手に興味を持ったきっかけは英洋子氏の原作のアニメ「ハロー!レディリン」だったという。その後、「馬って見てみたいな、どんな生き物なんだろう」と思ったといい、その時にちょうど父親が競馬中継を見ていたそうで「一馬だけ馬と人じゃなくて、1つの物体に見えたんです。1つの物体だけに見えた馬だけ見ていたら、それが1着ゴールして、それが武豊騎手とスーパークリークだったんです。そこから武豊さんに夢中になって。下敷きにみんながアイドルを入れている中に、私は武豊さんだった。ジョッキーってどんな職業なんだろうって、調べて」と武豊騎手への憧れから騎手を目指すことになったと明かした。

 高校卒業後、93年に競馬学校へ入校。「だいたいみんな中学を卒業して、そのまま競馬学校に入るっていう。その当時はお父さんが騎手でとか、お父さんが調教師で、お父さんが厩務員で、っていう子が(ほとんど)。うちはサラリーマンで縁故関係がなかった」と説明。そんな状況からも「競馬学校に手紙を書いて“見学させてください”と。見学に行ったり、中京競馬場で、警備員の方に“騎手になるためにはどうしたらいいですか?”とか。警備員の方がJRAの職員の方を連れてきてくださって、“競馬学校の試験はこういうものがあるんですよ!”ってことを教えていただいて」と自ら積極的に動いていたといい、「そこで競馬学校に手紙を書いて、3年生の時に受かって、卒業と同時に競馬学校に行くっていう感じでした」と話した。

 競馬学校での日々は「普段はもう実技。主に馬に乗って、まずは乗馬。馬も男もないです。同期10人だったんですけど、10人中7人が乗馬経験者で、3人だけ乗馬がなくて、入ってくると、コントールがきかないから、暴走しちゃうんですよね。私もいつも暴走して、止まらない…みたいな感じで、毎日泣いてました」と苦笑した。

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