「どうする家康」茶々も煽動!三成の“しくじり”星座談議から13年…ついに決裂 ネット不憫「不器用」

[ 2023年10月22日 20:45 ]

大河ドラマ「どうする家康」第40話。石田三成(中村七之助・奥)は徳川家康(松本潤)に「私は、間違ったことはしておりませぬ。殿下のご遺命に、誰よりも忠実であったと自負しております」(C)NHK
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 嵐の松本潤(40)が主演を務めるNHK大河ドラマ「どうする家康」(日曜後8・00)は22日、第40話が放送された。話題のシーンを振り返る。

 <※以下、ネタバレ有>

 「リーガル・ハイ」「コンフィデンスマンJP」シリーズなどの古沢良太氏がオリジナル脚本を手掛ける大河ドラマ62作目。弱小国・三河の主は、いかにして戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのか。江戸幕府初代将軍を単独主役にした大河は1983年「徳川家康」以来、実に40年ぶり。令和版にアップデートした新たな家康像を描く。古沢氏は大河脚本初挑戦。松本は大河初主演となる。

 第40話は「天下人家康」。豊臣秀吉が天に召され、国内に動揺が走る。徳川家康(松本潤)は石田三成(中村七之助)と朝鮮出兵の後始末に奔走。秀吉の遺言に従い、五大老の1人としてを試みる家康だったが、毛利輝元(吹越満)や上杉景勝(津田寛治)は自国に引き揚げ、前田利家(宅麻伸)は病に倒れてしまう。家康は加藤清正(淵上泰史)ら諸国大名に頼られる中、次第に政治の中心を担うように。野心ありとみた三成は警戒心を強め、2人は対立を深め…という展開。

 7年にもわたった朝鮮出兵。慶長3年(1598年)11月、豊臣軍の撤退が始まった。

 筑前・博多。加藤清正(淵上泰史)や秀吉の参謀・黒田官兵衛の息子・黒田長政(阿部進之介)を出迎えた三成は「戦のしくじりの責めは、不問といたしますゆえ」。清正たちの怒りと不満を買った。寧々(和久井映見)と家康の提案にも「詫びを入れる?何故、わたくしが」「わたくしは、間違ったことはしておりませぬ」と譲らない。

 慶長4年(1599年)、大坂城。茶々(北川景子)は三成に「あのお方(家康)は、平気で嘘をつくぞ」と耳打ち。そこへ、福島正則(深水元基)たちと徳川の縁組が進行中との報告。三成は疑心暗鬼に陥った。

 家康の掟破りに、輝元は「これは天下さん奪の野心ありとみる他ないぞ」。家康は糾問使に釈明も、本多正信(松山ケンイチ)は「徳川家中には、血の気の多い者が数多おりますでな」と本多忠勝(平八郎)(山田裕貴)たちの名を挙げた。輝元は「それは、戦も辞さぬということか」。穏便に事を運ぼうとした利家の「一筆書け」に、三成は「置目を破ったのは、徳川殿。道理が通りませぬ」――。

 家康と三成、2人きりの会談。

 家康「誤解は解いておきたい。わした、そなたの味方である」「まずは、皆の不満を鎮めねば。治部、あくまでも、一時のことじゃ。一時の間、豊臣家から政務を預かりたい。共にやらんか」

 三成「狸…皆が言うことが、正しかったようでござる」「私は、殿下に任じられました。その務めを全うするのみ。それが、私を拾うてくださった、殿下への恩義に報いることでござる!」

 三成が逃げ込んだ伏見城を、清正たちが取り囲む騒ぎ(七将の三成襲撃事件)。正信は「ここらが、潮時かもしれませんな」、忠勝も「表舞台に、立つべき時かと」と家康の背中を押した。

 三成は所領の近江・佐和山へ隠居。お万の方(松井玲奈)との間に生まれた家康の次男にして、秀吉の養子(幼名・於義伊)となった結城秀康(岐洲匠)が道中、お供に。佐和山を訪れ、また星座談議がしたいという家康の申し出に、三成は「ご遠慮願いとうござる。わたくしと家康殿は、違う星を見ていたようでございます。もう、お会いすることもございますまい」と立ち去った。

 天正14年(1586年)、意気投合した初対面の“星座談議”(第35話、9月17日)から13年。2人はついに決別した。

 SNS上には「『しくじりを不問とする』という三成のしくじりがツボ」「あんなに一緒だったのに」「治部は真面目すぎたんだな」「完全に恋人が別れる台詞やw」「治部の不器用さが不憫」「治部かわいそうと思うの(2009年『天地人』の)小栗治部以来」「でも、こんなに真っすぐで不器用な石田三成が、みんな大好きなんだよな!」などの声が上がった。

 天下分け目の「関ヶ原の戦い」(慶長5年、1600年)が迫る。次回は第41話「逆襲の三成」(10月29日)が放送される。

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