【落合×ジブリ鈴木敏夫 旧友対談】ケンカ、人事異動…宮崎駿氏との“運命の出会い”に「縁ですね」

[ 2023年12月20日 17:10 ]

落合博満氏と対談したスタジオジブリの鈴木敏夫氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(70)が20日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。好評対談企画「博満の部屋」第5回目として、落合氏の古くからの友人である株式会社スタジオジブリ代表取締役議長で数々のジブリ映画プロデューサーとして活躍する鈴木敏夫さん(75)をゲストに招いて対談を行った。

 学生時代に執筆作業のアルバイトも経験していた鈴木さんは、就職活動で雑誌や新聞社の入社試験を受け、徳間書店に入社。「いきなり週刊誌へ回されて。頑張りました」と「週刊アサヒ芸能」に配属された過去を懐かしそうに明かした。

 そこで経験したクセの強い先輩や“指導という名のしごき”を「鍛えられた」と楽しそうに振り返った鈴木さん。「そこでの鍛えたのがねぇ…宮崎駿と出会った時、役に立つんですよね。ある種の度胸がついてたんですよね、それで」と真剣な表情を見せた。

 話を聞いていた落合氏は、ここで「どういういきさつでジブリに入ったんですか?」と問いかけた。

 鈴木さんは「アサヒ芸能で週刊誌をやっていたじゃないですか。そこでデスクとケンカになっちゃったんですよ。それでひどい目に遭うんですよ」と語り始め、「次の週に人事異動があって…追い出されるんですよね。で、子供の雑誌に行かされるんですよ。これがね~実は『アニメージュ』(徳間書店から1978年5月26日に創刊された月刊アニメ雑誌)への道だったんですね。『テレビランド』っていう子供のためのテレビ雑誌…仮面ライダーとかいろいろ。それを8カ月ぐらいやらされて。やってみたら結構面白くてね」と「アニメ」の世界へ近づいた“きっかけ”を明かした。

 「それでね、そこ(子供向けの雑誌)に行ったら、アサ芸の文化部の部長がいて。この人が何か気が合って。それでこの人がアニメーションの雑誌をやろうって言いだすんですよ。それが『アニメージュ』なんですよ。それで“敏ちゃん、一緒にやろう”って」と回顧。「中心でやる人がいないからって僕がやるんですよ。(会社内の)“いらない”って言われた人たちがみんな集まって。これが結構面白かった。明日がない連中が、やけくそでやるでしょ。結構面白い雑誌ができたんですよ」とニコニコしながら話した。

 そして「そこで、その創刊号で、あろうことか、宮崎駿と出会っちゃうんですよ」と、上司とケンカして人事異動で飛ばされた“窓際”での運命的な出会いを紹介。落合氏は「それも縁ですね」とため息をこぼした。

 「本当に縁ですよ」と声のトーンを上げた鈴木さん。「アニメーションを全く知らない僕に、文化部の部長が“アニメに詳しい女子高生がいるんだ。紹介する”って言って。それでその子たちから聞いたことだけで創刊号の目次ができちゃった。それで、その創刊号で、あろうことか…その女子高生が教えてくれたんですけれど。『太陽の王子 ホルスの大冒険』っていう名作がある、と。これが高畑(勲)、宮崎が一緒にやっていた若き日のデビュー作なんですよ」。ついに鈴木さんと宮崎駿氏、高畑勲氏の人生が交錯した。

 鈴木さんは、できたばかりの雑誌で両氏と仕事をすることに。「あなたたちの作った『ホルス』が良いと聞きましたからぜひ取材を、と言ったらね“どういう意味だ”って言われた。簡単には首を縦に振らない2人だったんですよ」と苦笑い。「高畑さんなんて本当に僕に嫌なことばかり言ってね…1時間ぐらい電話。“僕はそういうわけでインタビューに応じないけれど…今、隣に宮崎駿っていう男がいる”って。僕が初めて宮崎駿の名前を聞いた瞬間ですよ」と目を輝かせた。

 電話で初めて宮崎氏と話した鈴木さんは「話が早い人でした」と笑い「いきなり“作るページは何ページですか”って。(仕事)OKだから“よっ!”って喜んだら、僕らが用意していたページは8ページだったんですよ。“それじゃ語り切れないから16ページよこせ”って…ここで、もめたんですよね(笑い)。でも、もめたけれども、電話でもめるうちに仲良くなっちゃったんですよ。これが、宮崎駿と出会う(きっかけ)。それで、のちに彼がね『ルパン三世 カリオストロの城』…これなんですよね~」としみじみと語った。

 ついにジブリの物語が動き始めた。

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