麒麟・川島明「それがなかったら2002年で壊れてた」 “ボロボロ”から救ってくれた先輩芸人とは

[ 2023年9月18日 21:53 ]

「麒麟」の川島明
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 お笑いコンビ「麒麟」の川島明(44)が16日放送のTOKYO FM「SUBARU Wonderful Journey~土曜日のエウレカ~」(土曜後5・00)に出演。芸人としてのスタイルを決めた、先輩芸人からの言葉を明かす場面があった。

 川島は1999年に田村裕と「麒麟」を結成、2001年の「M-1グランプリ」第1回大会で決勝進出を果たして一気に知名度を上げた。同大会で初代王者となったのがお笑いコンビ「中川家」。この日の番組にゲスト出演した中川剛は当時麒麟のことを知らなかったそうで、「あれ誰?って。マネジャーに“麒麟です”って言われて、麒麟?っていうぐらいやった」と回顧。川島によると吉本興業の“お偉いさん”も麒麟の存在を知らず、M-1後に「君たち吉本に来てください」とスカウトされたほど“無名”だったという。

 それでもM-1で5位となったことで「その晩にレギュラー番組が6本決まった」と一躍売れっ子に。しかしまだ実力もなく、環境の変化に心が追い付かずに川島は徐々に追い詰められていった。そんな時に「剛さんが“飲みに行こか”と連れてってくださった」といい、「僕がボロボロだったの分かってはったと思う。剛さんもそういう経験があったから。“あのな、全部に本気出さんでええで”と言ってくれたんですよ。これぞ中川剛スタイルという…その一言でめっちゃ楽になった」と剛からの金言を振り返った。

 当時、川島は「全部で100点を狙って一生懸命やってた」が、剛の助言で心が楽になり「背伸びするのをやめて等身大の力で無理せず頑張ろう」と思えるように。「それがなかったら僕は2002年か03年で壊れてたかもしれない。その言葉には本当に感謝している」と話した。

 しかし“全部に本気を出さなかった”からか、1年間でレギュラー6本が全て終了する事態に。川島は「間違えてサボってしまったんですけど」と笑い、オチをつけていた。

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