復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

「五葉おろし」ニモ負ケズ…白球追い春を待つ

[ 2012年1月20日 06:00 ]

仮校舎のグラウンドで練習中「五葉おろし」で大量の砂ぼこりが舞い練習を中断するナイン 

 高田高校野球部が、仮校舎の旧大船渡農グラウンドで練習を始めて約3カ月。自分たちの手で小石を拾い、黒土をまいてやっと手にした自前のグラウンドだったが、そこには知らなかった現実が待っていた。冬の到来とともに姿を現した突風、そして極寒。時に練習を中断せざるを得ないほどの過酷な環境の中、懸命に練習を続ける高田ナイン。雌伏の冬をさまざまな工夫と努力で乗り越えようとしている。

 一塁側後方にそびえる標高1351メートルの五葉山。三陸沿岸では最高峰の頂から「五葉おろし」と呼ばれる強烈な突風が、練習中のナインを容赦なく襲う。打撃ケージはなぎ倒され、竜巻のような土ぼこりが舞い上がる。ナインは強風に背中を向け、目をつぶってやりすごすしかない。その都度、練習は中断された。瞬間最大風速で20メートル近い日も多い。湿度が低い日が続き、体感温度は零下10度を超える。三陸沿岸では雪はめったに降ることはない。その代わりに強烈な風がある。

 「こうなった以上、前に進むしかないので。グラウンドがなかった自分たちにとっては、野球をやる場所があることに感謝しないと。今ある環境でベストを尽くすしかない」と佐藤央祐主将(2年)は前を向くが、過酷な環境であることに間違いはない。

 陸前高田市内にあった高田高校は津波で校舎を失った。練習で使用していた校舎裏の第2グラウンドには仮設住宅が建設されたため、ナインは「ホーム」を失った。4年前に廃校となった仮校舎の旧大船渡農グラウンドに黒土をまき、小石を拾って使用可能となったのが10月下旬。「授業が終わってすぐに練習をやれるのはありがたい」。それまでは大船渡市の仮校舎からバスで約40分かけて住田町営グラウンドを借りるなどしていたため、佐々木明志(あきし)監督(48)はうれしそうに話していた。しかし、かつての練習環境を望むのは不可能だった。

 突風のため、何度も練習を中断された揚げ句、バスで30分かかる陸前高田市の室内練習場に場所を変更することも多い。佐々木監督自ら29人乗りのマイクロバスを運転。マネジャーを含む49人の部員を2往復して運ぶ。全員が移動を終えるまでには約2時間が必要だ。こうしたケースを想定して昨年6月に中型の運転免許を取得した佐々木監督だが、効率的な練習は難しい。

 しかし、負けるわけにはいかない。冬は体づくりの時期。奥村珠久子部長(39)と女子マネジャー3人が、3・5升の米を炊き、練習を終えたナインに卵かけご飯を用意する。中にはその後、スクールバスで陸前高田市に移動し、室内練習場で午後11時まで自主練習を行う者もいる。そんな部員にとって1杯の卵かけご飯は何よりの栄養源だ。「家でもやっているので苦にはなりません。遅くまで練習してる人もいるので、空腹感を感じずにやってもらえれば」とは千葉茜マネジャー(2年)。さらに地下足袋をはいて足の指を鍛えたり、1・2キロの重い竹バットを使用することでパワーアップを図ったり。与えられた環境で最大限の効果を得るためには工夫するしかない。

 「雨ニモマケズ、風ニモマケズ…」。岩手県が生んだ詩人・宮沢賢治の詩を地でいくような日々を耐えながら、やがて訪れる球春を待つ。今は「雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ、丈夫ナカラダ」を鍛える冬だ。

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