復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

あれから8カ月半…震災爪痕の中で再生の息吹

[ 2011年11月25日 06:00 ]

陸に打ち上げられたままの船

 高田高校野球部が2日目に通過した宮城県気仙沼市も、東日本大震災で甚大な被害を受けた。8カ月半が過ぎても、沿岸部では震災の爪痕が生々しく残る。

 気仙沼市は3月11日に震度6弱を計測。押し寄せた津波で市内の3分の1が冠水した。その後の調査で、津波の高さは基準海面から20メートルを超えていたことを確認。それに加え、タンクから流出した重油への引火による大規模火災も発生した。街全体が炎に包まれる惨状は、3月11日の震災直後に映像を通して伝えられた。

 気仙沼港から約500メートル付近まで流された、330トンの巻き網漁船「第18共徳丸」は現在も撤去されず、いまだに津波の恐ろしさを物語る。所有会社は費用面から再利用を断念せざるを得ない。また、日本で有数の水揚げを誇る気仙沼漁港付近は、水産業者らの建物が解体されず残ったまま。建物がえぐられたように変形し、鉄骨がほとんどがむき出しの姿は痛々しく、その大部分は火災で黒く焦げている。

 その一方、漁港はたくさんの漁船や漁業関係者でにぎわいを見せる。魚市場は震災から3カ月が過ぎた6月23日に再開。現在は秋の味覚「戻りカツオ」が水揚げされ、人々は必死に日常を取り戻そうとしている。

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